
王映海
戴氏心意拳第五代衣鉢伝人
王映海、幼名桃園。人は桃園師父と呼んだ。1926年の生まれ、山西省招県東観鎮(もと暁義郡)北堡村人、戴氏心意挙の五代目伝承人、有名な武術家、武術大師である。人徳が高く人望が厚く弟子は世界に広がり、現代戴氏心意拳を集大成した。師、戴魁に就き七十年間武術に専念し修行した。15歳から戴氏心意拳師父四代目の戴魁のもとで心意拳を修行した。一生、農業をし、読み書きができなかったが、彼は詳細にわたるまで元来の戴氏心意挙のすべてを記憶、分析し整理した。
1984年、山西省祁県武術協会が創設された時、王映海は副会長に推薦された。1980年代以来、国内外から多くの研究者たち、 愛好者たちが彼の戴氏心意を求め訪れた。その精華は各界から賞賛、絶賛されている。 王映海は全国に出向き武術の研究、交流をした。彼の武術は海外からも「最も科学的な武術」、「最後の秘密武術」「凶暴的実用的な挙法」と評された。15歳からの戴魁もとで心意を習得していった。小さい頃から性格も頭も良かったが貧乏な家庭の出身のため、2、3年程勉強して11歳には休学した。戴魁は富裕であったが時代の波に呑み込まれ没落した。祁県の出身で大麻を吸い、最終的に暁義村に流れてきた。子供がなかったため家訓を破り、戴の姓以外の人に伝授した。学校に行けないことをとても悩んでいたが、戴魁が挙法を練習するのを見て、傍らで学ぶようになった。初めは師父のため生活の雑用を手伝いながら横で拳法を学んだ。17、8歳ごろには野菜を売るなどして師父に恩返ししながら、挙法を練習していた。両親も彼が武術に専心する姿にあきれるほどだった。
戴魁師父に拳法を学習するときは、規則を厳しく守り、質問などはできなかった。ある時「師父、本を見せてもらえないですか?」と聞くと、師父は「戴氏心意拳は口伝によって伝える物だ、頭に入れておくものだ。本に書いているものは失われるだろう!」と答えた。戴氏の伝統な伝投法は口と手で行う。戴魁は「武術は失伝すれども、伝せず」の拳則を遵守した。王映海は師父にいつも真剣に練拳の成果をせた。師父は王映海の真面目なことをとても気に入り、心意拳のすべてを彼に伝授していった。王映海は心意拳を毎日練挙し少しずつ功を積んだ。「師として仰いだ日から一生の親でもある。」その教えを自らの生活が苦しいときも常に実践し、師父にいつも親孝行、義の心を持ち、誠心誠意に尽くした。
1951年に戴魁師父が77歳で病気のため、亡くなった。当時の王映海はまだ25歳だった。田九元、程連鳳、岳藴忠など4、5人と協力し墓を掘り、葬式を執り行った。
●伝承
戴氏心意拳
戴隆邦→戴文雄→戴良棟→戴魁→王映海